さわや書店 おすすめ本
本当は、目的がなくても定期的に店内をぶらぶらし、
興味のある本もない本も均等に眺めながら歩く事を一番お勧めします。
お客様が本を通して、大切な一瞬に出会えますように。
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no.6242025/5/16UP
本店・総務部Aおすすめ!
もうすぐ絶滅するという煙草について ちくま文庫編集部/ちくま文庫
百害あって一利なし。健康に悪い、他人に悪い、マナーが悪い、カネの無駄、時間の無駄、くさい、汚い、グローバルスタンダードに反する、サボっている等々…。パッケージには煙草の害が一番大きく表示され、数少ない狭い喫煙所には喫煙者が集まりモクモクと煙を立てている脇を吸わない人々が愚かで珍しい生き物でも見るように通り過ぎてゆく。まだいたのかというように…。
これだけの屈辱感があってなお吸うという人は中毒というよりも、むしろ今やめると世間の圧力に屈したと見られるのが嫌なんだとも思う。そんなの他人から見ればどうでもいいんだけれども、なにせ自分の価値観だけを頼りに吸っている人種だから。
本書は煙草に縁のある人もない人もそれなりに楽しめる本だと思う。錚々たる文豪42名による煙草にまつわる悲喜こもごも。吸うのもやめるのもさすがの文章だ。重鎮が多い中でかなりの異彩を放っているヒコロヒーの「仕事終わりに髪からたばこの香りが鼻をかすめるこの人生も気に入っている」がなかなか面白かった。
さて、いつまでも意地を張ってもいられまい。遅ればせながら自分もそろそろ煙草に別れを告げる時か。別れはいつも一抹の寂しさが残る。 -
no.6232025/5/12UP
本店・総務部Aおすすめ!
戦火のバタフライ 伊兼源太郎/講談社
戦前と戦後の変容。一般市民の感情と政治家の論理と官僚のリアル。思い出したくない出来事や口にできない現実が戦時中には多くあったことだろう。それこそ口をつぐんだまま墓場まで持って行った方も大勢いたと思う。戦後の葛藤も含め残すことのできないものを、口にすることのできない現実を、物語という形でなら語り継ぐことができる。あらゆる物語の起源とは、そういった忘れてはならない大事なことを、どうしても後世に語り継ぐために生み出されたものなのかもしれない。
戦争を体験した人がもうすぐいなくなる戦後80年というこの時代。今読んでおきたい一冊だ。 -
no.6222025/5/5UP
本店・総務部Aおすすめ!
恥辱 J.M.クッツェー/ハヤカワepi文庫
偏屈、頑固、バツ2。そして女に目がない大学の准教授が、学生に手を出し訴えられ墜ちてゆく物語。職を失い娘のところに身を寄せる中、更なる悲劇が父娘に襲いかかる。同じような屈辱と恥辱を与えられながらも、親子で対処の方法が対照的だ。男性と女性の違いか土地の違いか、プライドの示す方向が真逆である。乾いた文体で淡々と語る主人公は自分が悪いとは思ってもいない。にもかかわらず、最終的にはこの一連の経験により人間の逞しさや美しさ、そして愛について悟る。
この物語は南アフリカの政治的な問題や人種問題などが背景にあるのだろうけれども、それとは関係なく純粋に小説として面白い。最近は政治家や芸能人などのスキャンダルでその職を追われるような事態を多く目にするが、自分は常に清廉潔白のような顔をして人の過ちだけをみんなで叩くような風潮はいかがなものかと思いつつも、そんなゴシップについ目がいってしまう。恥辱にまみれてなお、どう振る舞うかがその人の真価が問われる場面だろう。少なくとも正論を盾にただ叩きまくるだけの人よりは多くを学び、人生経験を積んでいることだと思う。 -
no.6212025/4/25UP
本店・総務部Aおすすめ!
実さえ花さえ 朝井まかて/講談社文庫
著者のデビュー作、江戸の種苗屋を営む花師の物語。草木や花を愛でるための品種改良が江戸時代の職人によって作られ、現代にも通じているのが興味深い。その美しさ、儚さ、逞しさは、時代は違えども同じように人の心を打つのだと、当たり前ながら感慨にふける。それにしても、粋な話だ。
本を読む事は心に新種の種を蒔き、苗を植えるようなものかもしれない。どう育つかは自分次第。少なくともAIで自分用にカスタマイズされた情報よりは、自分の中には無かった何かと混ざり合い、より強く美しく育つような気がする。
染井吉野か。今日の盛岡は花吹雪が舞っている。 -
no.6202025/4/21UP
本店・総務部Aおすすめ!
日の名残り カズオ・イシグロ/ハヤカワepi文庫
イギリスの一流執事の独白のみで構成する、旧友に逢いに行くロードノベルだ。その旅の間、過去の回想でこれまでの仕事への矜持や変わってしまった世界が語られる。英国紳士に長年仕えてきた主人公が、今ではアメリカ人の主人に仕えている。
この物語には単なる過去へのノスタルジーだけではなく、晩年に自分の人生とはどのようなものだったのかを見つめ直す、誰の身にもいつの世にも起こり得る普遍的なドラマがあるのだと思う。主人公の生真面目な語り口に皮肉なユーモアを感じさせながらも、移りゆく時代と個人的なロマンスの中にひとりの人間の後悔や誇り、つまり人生を映し出す。
本書を原作としたジェームズ・アイヴォリー監督の映画も良かった。主演のアンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンが素晴らしい。ちなみにこれはとてもいい話なので“レクター博士”のイメージだけは完全に頭から払拭してから観なければならない。そして何でもそうだが原作を読むと作品への理解が格段に深まる。本書はそんな作品の中でも特にお薦めしたい一冊だ。 -
no.6192025/4/4UP
本店・総務部Aおすすめ!
悪の法則 コーマック・マッカーシー/早川書房
ダイヤモンド商:そう、クラウンとパビリオンがそれぞれ好ましくカットされていても互いがちぐはぐになることがある。最初の切子面がカットされるともう後戻りできません。合一の象徴となるべきものが永遠に不実を残すことになるわけですがそこにわたしたちは厄介な真実を見てとることができます。人間の企ての形は良かれ悪しかれ着手した時点で完成するという真実を。
弁護士:(顔をあげて)しかし完璧なダイヤモンドなどないと。
ダイヤモンド商:この世に完全なものなどない。父がよく申しておりました。
―中略―
ダイヤモンド商:石は目撃する人間が登場する以前に地球の深いところでできあがったけれど今はここにある。今はここに。誰がその目撃者なのか。わたしたちです。わたしたち二人です。ほら。(ダイヤモンドをクリップに留めて)これは警告を与えてくれる石です。
弁護士:警告を与えてくれるダイヤか。―
(以上本書より抜粋)
映画『悪の法則』(原題:The Counselorリドリー・スコット監督2013年公開)。本書は2023年に亡くなられた米文学の巨匠コーマック・マッカーシーが映画用に書き下ろした脚本だ。弁護士は違法な取引に片足を突っ込んだ途端、どう足掻いても一切取り返しのつかない地点まで一気に転がり落ちてしまう。著者にしては短い物語だが、すべてのエッセンスはこの一冊に凝縮されているように思う。断っておきたいのは、これは知人に薦められるような映画では決してないという事。ただ、個人的には観終わった後も長い期間、何を意味しているのか時折ふと考えさせられる。強烈で深遠、そんな映画だ。本と映画が多少異なる部分もあり両方読むと理解が深まる。店には置いていないので興味のある方のみ注文をお願いしたい。 -
no.6182025/4/2UP
本店・総務部Aおすすめ!
ゴンべの森へ
アフリカ旅日記 星野道夫/ちくま文庫1996年8月8日カムチャツカ半島でヒグマに襲われ死亡した著者。本書はそのカムチャツカ撮影行に旅立つ前日、1996年7月21日に脱稿されたと書いてある。実際にアフリカのタンザニアに行ったのは前年の1995年。随筆と共にたくさんの写真が載っている。当時42歳か。知識と経験と体力も兼ね備えた一番いい時だったと思う。
本書の中で印象深かったのは「ぼくのファンタジー」という章で、子どもの頃に頭を悩ませていたのは北海道のクマの存在だったという話だ。町の中で暮らしている同じ瞬間にクマが生きていると考えると不思議でならなかったとの事。すべてのものに同じ時が流れている不思議さ。これが著者の一貫した自然や生命に対する哲学的な認識なのだろう。荒涼たる自然のアラスカから生命感溢れるアフリカへ。そしてその翌年、最後まで自然の中で、自身も生命の一循環として旅立たれたものと想像する。 -
no.6172025/3/31UP
本店・総務部Aおすすめ!
羅生門/蜘蛛の糸/杜子春
外十八篇 芥川龍之介/文春文庫著者の代表作はこの一冊でほぼ網羅できる。表題作の3作は教科書などでおなじみの話だが、改めてじっくり読んでみると若い頃に抱く印象とだいぶ異なっていることに気づく。人間の業の深さ、人物の陰影を強く感じさせる著者の物語はどれも、大人になってから読むべき本と言えるだろう。個人的な好みで言えば「或日の大石内蔵助」「秋」「藪の中」「トロッコ」がいいと思った。
どこか狂気を孕んだグロテスクな作品が多く、中でも最後の3作「点鬼簿」「河童」「歯車」はかなりヤバいところまでいっているという感じがある。人間の本質を同じ人間がどこまでも深く追求しようとすると、最終的にはどこか狂ってしまうものなのかもしれない。人間であることを認め生きていくにはやはり、越えてはならない一線があるのだろう。さながら「杜子春」のように。 -
no.6162025/3/14UP
本店・総務部Aおすすめ!
銃 中村文則/河出文庫
著者デビュー作の本書。最近映画化された奥山和由監督『奇麗な、悪』は本書に併録されている「火」を原作としている。「銃」の映画化は理解できるが、「火」の映画化は正気の沙汰ではないように思う。かなり攻めた、挑発的な映画にならざるを得ないと思うが、どうだろう。観てみたいような観たくないような。関係ないけど1995年奥山和由製作総指揮の『GONIN』は凄かった。
本書は淡々とした話の中に、圧倒的な熱量が籠っている。「銃」は精神がいつからか狂っていく様が恐ろしく、また「火」は信頼できない語り手の独白のみで構成されているのが恐ろしい。
全く関係ないが、核抑止力のための核保有など冷静に考えてみればバカげた話で、なんと愚かな生命体だろうと、もし宇宙人がいるとすれば笑っていることだろう。人類は元々愚かさを内包している。「銃」の主人公のように、「持つ」という事により精神が微妙に狂ってくる可能性は十分に考えられる。今の世界情勢はすでに、「持つ」人間の精神に狂いが生じてしまっているのかもしれない。そんなことを思った。 -
no.6152025/3/6UP
本店・総務部Aおすすめ!
逃亡者は北へ向かう 柚月裕子/新潮社
震災から14年、著者がこの物語を書き終えるためにどうしても必要な時間だったのだろう。命というものと真摯に向き合い、葛藤と逡巡の末紡がれた小説だと感じる。逃亡者を中心とした生と死の群像劇と、残された人間の生きる姿を描き、その意味を浮き彫りにする。
いきなり結末のプロローグから始まり、切ないラストまで名作映画を観ているようだった。震災の風化が懸念されているこのタイミングでの出版なので、ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思う。