さわや書店 おすすめ本

本当は、目的がなくても定期的に店内をぶらぶらし、
興味のある本もない本も均等に眺めながら歩く事を一番お勧めします。
お客様が本を通して、大切な一瞬に出会えますように。

  • no.297
    2018/12/25UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    フランス座 ビートたけし/文藝春秋

    「俺たちもう終わっちゃったのかな」「ばかやろう、まだ始まっちゃいねえよ」――『キッズ・リターン』
    「ありがとう・・・ごめんね」――『HANA‐BI』
    「おじちゃん名前なんていうの」「菊次郎だよばかやろう、帰れ早く」――『菊次郎の夏』

    すっきりとしていて深い余韻を残す印象的なラストシーン。著者の映画はどれもハッピーエンドには決してならないものの、それでもいいんじゃないかと思わせてくれる。それは芸人として今まで駆け抜ける中で見てきた、多くの人間から得た人間観によるものなのだろう。人間を見つめる濃度が一般的な人とは全く違う。
    本書は著者の自伝的小説だが、描きたかったのは師匠・深見千三郎を中心とした、周りの人たちの事だったのだろう。今の風潮では考えられない時代だったとはいえ書き残す価値があり、今それができるのは著者だけだと思う。
    この小説も、ラストの一文は見事としか言いようがない。

  • no.296
    2018/12/18UP

    フェザン店・長江おすすめ!

    蚊がいる 穂村弘/角川文庫

    普通に日常生活を送っているが、どうしても世界に馴染めない感覚を捨てきれない人のことが、男女ともに好きだ。世の中の様々な常識や、自分の周りの日常の様々なことに、立ち止まって違和感を覚えてしまう人。当たり前だと思われていることをすんなり受け入れられず、周囲と違う嗜好を持って自分なりの行動をしつつ、とはいえ「みんな」が支配する世界でもそれなりにうまく頑張って生きている人。そういう人を見かけると、いいなぁ、といつも思ってしまう。
    穂村弘も、そういう一人だと僕は思っている。
    『文化祭でもキャンプでも大掃除でも会社の仕事でも、いつも同じことが起きる。全ての「場」の根本にある何かが私には掴めないのだ。現実世界に張り巡らされた蜘蛛の巣のようなルールがみえない。』
    彼のエッセイを読むと、同類だなと思えてなんだか嬉しくなる。日常生活の中の、本当に些細な、躓く必要のないちょっとした段差みたいなところで、それってどういうことなんだろうと立ち止まって考えてしまう著者の生き方は、共感できるし、微笑ましいし、ガンバレ!と言いたくなってくる。

  • no.295
    2018/12/18UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    逃北 つかれたときは北へ逃げます 能町みね子/文春文庫

    ネガティブ観光案内、北への旅。どうぞいらっしゃいという観光地ではなく、あえて何もない寂しいところの魅力を紹介している。東北人としては微妙だが、北への愛情は充分に伝わり、ああわかるなあと思う部分の多々ある傑作エッセイだ。
    個人的には、大学時代にワンダーフォーゲル部で山へ行き、何日かして帰ってくる時の電車の中で、無事に帰って来たなという安堵と共に、ああまた下界の雑踏と喧騒の中に戻ってしまったなという思いが交錯するのに似ている。山に行くのは決して絶景を見る為ではなかった。それはある意味、山へ逃げていたのかもしれない。
    北への旅で思い出すのが「男たちは北へ」という小説だ。ある男が東京から青森まで自転車で行くというだけの物語。その間にいろいろと絡んでくるが、そんなものとは関係なく我が道を行く主人公が清々しい。こちらもぜひご一読を。
    先日さわや書店は青森駅ビルにラビナ店をオープンした。青森県では野辺地店に続き2店舗目。開店準備で大雪のなか青森に行ってみたが、底知れぬ魅力のあるところだと改めて感じた。本格的な雪の季節にこそ、みなさん北へ逃げにいらっしゃい。

  • no.294
    2018/12/11UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    半席 青山文平/新潮文庫

    自分のためだけの独りよがりなプライドは邪魔になるだけで煮ても焼いても食えないが、人のために守るべきプライドはいつの時代でも美しく、人間としての真の誇りを形成する大切なものなのだと思う。
    本書の主人公は、罪人が罪を認めて刑が執行されるのを待つだけの状況で、“なぜ”その事件を起こしたのかを聞き出すという、頼まれ御用を嫌々ながらも何度か請け負う。そしてその過程で人の心の深淵に分け入っていくうちに、人としての深みを増して成長していく物語だ。
    出世だけを第一に考えていた男が、少しずつ自分自身の見識が変化して、忘れかけていた武家としての誇りを思い出す。そして最後には清々しい自分のプライドを見せるのである。時代小説の心が“なぜ”を解き明かすミステリー部分の核心になっていて、現代にも通じる非常に味わい深い物語だ。

  • no.293
    2018/12/11UP

    フェザン店・長江おすすめ!

    悪医 久坂部羊/朝日文庫

    今の僕は、こう考えている。癌になったら、治療はしたくないな、と。それは本書を読む以前から考えていたことだが、本書を読んでその考えがより強固になった。
    『さらに森川が疑問に思うのは、抗がん剤ではがんは治らないという事実を、ほとんどの医師が口にしないことだ(中略)
    しかし、大半の患者は、抗がん剤はがんを治すための治療だと思っているだろう。治らないとわかって薬をのむ人はいない。この誤解を放置しているのは、ある種の詐欺ではないか』
    もちろん、初期の癌であれば治療や手術で治るものもあるだろう。すべての癌が治らないというわけではないはずだ。しかし、「癌は治らないもの」と認識しておく方がいいと、本書を読めば理解できるだろう。本書は、「癌は治るはず」という希望を捨てられずに治療法を求めて彷徨う患者と、この癌は治らないから残りの人生を穏やかに過ごした方がいいと正しい判断をしたのに責められる医師の物語であり、双方ともに苦悩の時間を長く過ごすことになる。
    「正しい患者」になるために、全国民が読んでおかなければならない一冊だと思う。

  • no.292
    2018/12/4UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    あなたが消えた夜に 中村文則/毎日文庫

    ミステリーの形式をとっているがこれはミステリーではない。やはり中村文則という文学を表現しながら、人間の心の不思議さを描いている。
    どんな善人であれ、意識していようがいまいが、人には必ず「悪」の部分が存在する。それを自覚し客観的に自分自身を内省しながら人はバランスをとって生きている。しかし、メタ的に自己を分析しすぎると、“自分で自分を証明することはできない”のようなパラドックスに陥り、最終的には精神に異常をきたしてしまうのだと思う。本書、第三部の長い手記。徐々に精神が狂い始め、やがて壊れていくような文体が生々しく恐ろしい。正常と異常の境目はどこにあるのだろう。
    『マルホランド・ドライブ』という映画がある。難解なこの映画は、メタ認知を表現しているのだと思う。輝かしく美しい希望や夢が、美しければ美しいほど、逆にそれらは自らの首を絞めに来る。狂わなければ精神がもたないほどに希求する理想や妄想が、哀しくも美しく、そして切ない。本書同様、人間の心の不思議さを描く傑作である。

  • no.291
    2018/12/4UP

    フェザン店・長江おすすめ!

    蜜蜂と遠雷 恩田陸/幻冬舎

    何かを「批判」したり「評価」したりするためには、「これが良い」という「基準」や「枠」が必要となる。「批判」や「評価」は、「何に対して」という「軸」なしには出来ないことだからだ。
    「天才」と呼ばれる人には様々なタイプがいる。中には、既存の「基準」や「枠」の縁ギリギリにまで辿り着ける、というタイプもいるだろう。しかし中には、「基準」や「枠」の存在など知らず、そんなものとは無縁の場所で圧倒的な何かを放出する、というタイプもいるだろう。
    そういう「天才」は、どのように「批評」や「評価」がされるべきだろうか?
    『そして、審査員たちも薄々気付いている。
    ホフマンの罠の狡猾さと恐ろしさに。
    風間塵を本選に残せるか否かが、自分の音楽家としての立ち位置を示すことになるのだということを。』
    ピアノコンクールを舞台に、出場者たちの来歴や才能や背景を濃密に描き出す本作は、文字の羅列でしかない小説という形態でありながら、音楽の「基準」や「枠」を飛び越える瞬間を読者に感じさせてくれる一冊だ。

  • no.290
    2018/11/27UP

    フェザン店・長江おすすめ!

    か「」く「」し「」ご「」と 住野よる/新潮社

    僕は、他人の気持ちなんか分からない方が面白い、と思っている。「相手のことを全部知りたい」というような人も多くいるだろうが、僕は、分からない部分があるからこそ面白いと思うタイプだ。どれだけ掘り下げてみても、捉えきれない部分がずっと残ってくれる方が、その人に対する興味が持続する。だから、他人の気持ちは分からないで欲しい。
    本書では、他人の感情が様々な形で分かってしまう5人の高校生の物語だ。著者は、一見安易に思いつきそうなこの設定を、リアルに突き詰めて物語に落とし込む。
    5人とも皆、そういう能力を持っているのは自分だけだ、と考えている。だから、そういう能力があることは悟られてはいけない。でも、知ってしまった感情を無視するわけにもいかない。結果的に皆、周囲にいる人間のために何か行動を起こすことになる。
    しかし、他人の感情が見えすぎるせいで、5人ともが皆、自分は冷たい人間だというような自己評価をする。あいつはこんなにちゃんとした奴なのに自分は…と思ってしまうのだ。
    他人の感情が見えすぎることが、彼らのパーソナリティに少なくない影響を及ぼし、さらにそれが5人全体の関係性にまで波及していく。非常に繊細で、こんな感情を持ったり、こんな行動が出来たりするなら、他人の感情が見えすぎることも悪くはないのかもしれない、と思えた。

  • no.289
    2018/11/20UP

    フェザン店・長江おすすめ!

    松ノ内家の居候 瀧羽麻子/中央公論新社

    松ノ内一家は、当主である貞夫の祖父が創業した松ノ内商会という商社を代々引き継いで経営している。庭付きの屋敷で暮らしてはいるが、それ以上何ということはない家族のはずだった。
    そんな松ノ内家に、ある日美しい青年が訪ねてきた。西島と名乗ったその男は、楢崎の孫だ、と言う。家族のほとんどがピンと来なかったが、貞夫だけは分かった。
    楢崎春一郎。私小説を多く書いた文豪で、主要な文学賞を受賞、ノーベル賞の有力候補とまで目されていたという、日本を代表する作家だ。小説家として名高いが、女関係もまたすごく、何度も結婚し、愛人も常にいたような男だったという。楢崎春一郎は、今年が生誕100年、没後10年の記念の年であるらしい。
    西島は、訪いの理由をこう語った。かつて一時だけ、楢崎がこの屋敷に居候をしていた時期がある。それだけではない。居候をしていた一年間だけ、楢崎は作品を発表していないという。研究者の間でも、空白の一年と呼ばれている期間だが、しかしその時期、実は小説を書いていたという記録が残っているという。
    つまりこの屋敷に、楢崎の未発表原稿が眠っているかもしれない―。
    あるのかないのかさえ分からない未発表原稿を巡って、家族の様々な思惑が交錯する展開が面白い。さらに、楢崎や彼の未発表原稿の存在が、松ノ内家という家族をより強固にする、という構成が、実に見事だったと思う。

  • no.288
    2018/11/13UP

    フェザン店・長江おすすめ!

    哲学的な何か、あと科学とか 飲茶/二見文庫

    人は「科学」と聞くと、現実をはっきりと理解し、物事を明確に判断するものだという印象を受けるようだ。どんな仕組みかは分からないが、「科学」というブラックボックスを通せば、世の中のあらゆることに白黒つけることが出来る、と思っている。だからこそ、豊洲移転や原発の問題などについて、科学者に対して「100%安全かどうか」を問う、という行動が生まれるのだ。
    しかし、「科学」というのはそういう営みではない。本書を最初から最後まで読めば実感できるだろうが、「科学」というフィルターを通せば通すほど、余計に目の前の現実が分からなくなっていく。「科学」というのは、物事をくっきりさせるどころか、より深い混沌へと導くものでもある。
    本書を読み、「科学」というのがどんな営みなのかを理解すれば、「科学」というブラックボックスに放り込めば何でも分かる、などという幻想は消え去るだろう。
    「科学」は、現実がどうなっているのかについて答えてくれるものではない。その最たる例は、「光は波でも粒子でもある」という、量子論が要請する結論だ。科学者は誰も、「波でもあり粒子でもある」という状態をイメージ出来ない。しかし、そう考えることで、理論としてはばっちり上手くいくのだ。だったら、どういう状態かイメージは出来ないが、そういうことにしようぜ、というのが「科学」のスタンスなのだ。
    「科学」というものを誤解しないためにも、本書は読んでおくべき一冊だ。