さわや書店 おすすめ本

本当は、目的がなくても定期的に店内をぶらぶらし、
興味のある本もない本も均等に眺めながら歩く事を一番お勧めします。
お客様が本を通して、大切な一瞬に出会えますように。

  • no.479
    2021/10/2UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    垂直の記憶 山野井泰史/ヤマケイ文庫

    なぜ、そこまで…。最終章「生還」がとにかく壮絶。全く次元が違うので同列には語れないが、自分も学生時代に山をやっていたのでラストにはリアルさをもって震えながら読了した。肉体的にも精神的にも限りなく人間の限界に近い魔の下山。まさに奇跡の生還だ。
    普通の登山でも山では山行と言う。「行」というイメージが山ではしっくりくる。景色がいい、自然がいい、空気がいいなどは二次的なもので、やはりそこは自己との闘いがメインになる。そういう意味では「業」にも近いのかもしれない。自己満足だ、自殺行為だ、周りの人の心配や迷惑を考えないのか等々の意見はごもっともで理論的にも全く正しい。ただ、生きる喜びを覚えるようなひとつの事に、誰に褒められるわけでもなく命を賭けてまで限界に挑戦する姿には尊敬を感じるし、また、ある種羨ましさをも感じる。
    理論だけでは計り知れない生きることの実感とその意味。本書には世界的クライマーである著者の歩んだ道のりと、高みへの思いが刻まれている。

  • no.478
    2021/9/27UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    羆嵐 吉村昭/新潮文庫

    実りの秋の季節になった。それは人間だけに与えられた恵みではなく山の王、クマにとっても同じ事だろう。厳しい冬を越して生きるために、彼らだって食べなければならない。本書は実際にあった羆事件を元にしたノンフィクションだ。山における人間の無力さ、自然の畏ろしさが、濃密な闇の圧迫感と張りつめた緊張感をもって読者を締め付ける。
    人間にとってクマは恐ろしい存在かもしれないが、クマにとってみれば人間ほどタチの悪い生き物もいないだろう。勝手に自然を壊しておきながら、自然エネルギーだ、多様性だ、人権だ、宗教だ、戦争だなどと騒ぎたて、結果的には何も解決できない。果てる事のない欲望と好奇心だけで行動する種族は、正に悪魔の所業に見えることだろう。
    これだけ進化した現代でも、コロナウイルスを抑え込む事はできなかった。研究はもちろん必要としても、人知の及ばないものに対して現実を謙虚に受け入れる事は、逆に勇気と知性あるふるまいだと思う。害獣も駆除すれば解決という単純な話ではないのだろう。本書を読むとアイヌやマタギの文化にも興味が湧いてくる。

  • no.477
    2021/9/20UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    国宝 吉田修一/朝日文庫

    歌舞伎の事はよく分らなくても、梨園に生きる人間の苦悩と誇りに胸が熱くなる。本書は重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝にまで至る天才役者の孤独と犠牲、そして鬼気迫る迫真の芸が描かれている小説だ。あらゆる役者、画家、音楽家、文学、古典芸能などを支える人も含め、それに携わる人は職業というよりも生まれ持った宿命と、そうせずにはいられない人間の業に突き動かされるものなのかもしれない。
    やはり本物を観てみたいと強く感じた。場の力というものも特に伝統芸能にはあるだろう。これは他の演劇でも音楽でも、映画館や本屋でさえ同じことが言えると思う。例えば本の質感、装丁の色彩、ページをめくる感触、リアルなインクの匂い、自分では絶対に選ぶことのない種類の本を目にする時の、そんな空気感ごとすべてが本屋だ。
    本書を読んでいて、個人的には北野武監督の映画『ドールズ』を思い出した。この映画の冒頭には人間国宝、故・豊竹嶋太夫の人形浄瑠璃文楽が出てくる。
    著者原作の映画の中では『悪人』や『横道世之介』など、原作も映画も素晴らしい。

  • no.476
    2021/9/10UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    人類最初の殺人 上田未来/双葉社

    エフエムラジオの語り口で、洒落た作りの連作短編。一話ごとに軽く読めて皮肉の効いた結末が面白い。人類最初の殺人、詐欺、盗聴、誘拐、密室殺人と物騒なタイトルが続いているものの重くはなく、すべてどこか夢のあるような、大人のむかしばなし風の趣がありニヤリとさせられる。
    映画で言えば、『ロープ 戦場の生命線』『THE GUILTY ギルティ』あるいは『CUBE』などの、地味ながら、シニカルで印象的な結末の物語を思い出す。
    先日、澤井信一郎監督が亡くなられた。『Wの悲劇』や『早春物語』なども皮肉なラストシーンが印象的な余韻を残し、青春の終わりを示す成長物語だった。薬師丸ひろ子、原田知世は永遠のアイドルだ。なんか思い出してしまったので申し訳ないけれども、本書には全く関係のない話で終えることにする。

  • no.475
    2021/9/6UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    インドラネット 桐野夏生/KADOKAWA

    受け継がれる過去の政治的混乱と今につながる現代性。古いものと新しいものが混ざり合うカンボジアの混沌とした空気感が東南アジアの熱風とともに伝わってくる。主人公と一緒にカンボジアを旅するような臨場感、次々と厄災に巻き込まれていく焦燥感と共に、最後は突き放されるような読後感だった。
    最近のアフガニスタン情勢も含め、世界の至る所で今も燻り続けるテロや紛争。いくつものイデオロギーが衝突し、また政治的にも利用しようとする大国の思惑などが入り混じる事で、よりカオスを生んでしまう。本書はそんな不穏な世界と、人間の二面性を垣間見るような物語で、平和に浸かりきった今の日本人とのギャップを感じさせる。
    平和は当たり前の事などでは決してなく、その前提を忘れると大きな勘違いをしてしまう。
    映画『地獄の黙示録』を改めて観てみた。

  • no.474
    2021/8/28UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    みかづき 森絵都/集英社文庫

    戦後から現代まで、塾の目線でみた教育現場における物語。近代史を眺めるようにその時代ごとの空気感が伝わってくる。どんな時代においても絶対にこれだけが正しいというものはなく、世の中の流れによって風向きが大きく変わってくる。一つだけ言えるとすれば、いつの時代でも「自分の頭で考えろ」という事だけだ。
    読書は、時代の流行に関係なくその解釈に普遍性と多面性があり、読む年代や時期などによっても感じ方が変わってくる。映画もいいが、画像から伝わってくる微妙な部分をより楽しむためにも、まずは名作文学を読み「自分の頭で考える」ことが先決だ。
    コロナ禍の中、下記RHYMESTERの曲が頭にリフレインする。
    “汚れたマネー 腐った官僚 腐った政治家に大企業 腐った国家 日本株式会社 ヤツらが悪い オレは被害者 大人が悪い 子供が悪い ゆとりのせいで アタマが悪い 教育が悪い 行政が悪い 巡り巡って 大人が悪い じゃ、悪い大人を代表し 言ったろうタブーを開放し この世界はそんな単純じゃないんだ ラスボスはどこにもいないんだ 所詮カネか? 誰かの陰謀か? そりゃ解り易いがそれだけじゃないな 騒ぎ出す外野 揺れるガイア 誰がメサイア? 誰がライアー? 選ぶのはキミだ キミだ 決めるのはキミだ キミだ 考えるのはキミだ キミだ 他の誰でもないんだ さあ歌いなLa La La…”(The Choice Is Yours/RHYMESTER)

  • no.473
    2021/8/19UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    沈黙 ドン・デリーロ/水声社

    映画『ノーカントリ―』冒頭、老保安官の語り。
    ――私は25歳で保安官になった ウソのようだ 私の祖父も父も保安官だった 父が現役のうちに私は保安官になった 父は誇りに思っただろう 私も誇らしかった (中略) 少し前ある少年を死刑にしたことがある 私が逮捕し法廷で証言した 彼は14歳の少女を殺害した 新聞は“激情犯罪”と書いたが本人は“激情はない”と言った “以前から誰か人を殺そうと思っていて” “出所したらまた殺す”と “自分は地獄に行く” “15分後には地獄だ”と どう考えたらいいのか全く分からない 最近の犯罪は理解できない 別に恐ろしいわけじゃない この仕事をするには死ぬ覚悟が必要だ ただ必要以上に無茶なことをして 理解できないものに直面したくはない だが魂を危険にさらすべき時は “OK”と言わねばならない “この世界の一部になろう”と――
    本書を読んで、なぜか上記を思い出した。どちらの物語も事態が好転する事はなく、話として面白いわけではない。それでも妙に惹きつけられるのは、リアルで過酷な現実を描写しながらも、文章自体に、あるいは目に映る画像自体にどこか厳粛な美しさを感じるからだ。すべての装飾を取り除いてなお、人間に残る最後の残像のような。
    テクノロジーは進化すればするほど、世界の脆弱性や危険度も増す。本書はそんな現在のような状況下での、人間の混乱と思考と、その後に落ちる沈黙を描いている。

  • no.472
    2021/8/14UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    日本の深層 梅原猛/集英社文庫

    先日観た午前十時の映画祭の『2001年宇宙の旅』冒頭シーンを思い出す。人類の起源のような遥か彼方の痕跡が、どこか現代の人間にも繋がっているような、遠い記憶に想いを馳せる。
    本書は小難しそうなタイトルだが専門用語などの退屈な話ではなく、紀行文として読みやすい。太宰治や宮沢賢治などの文豪から、「ねぶた」や「なまはげ」、マタギからアイヌまで幅広い考察がされている。
    「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録された。世界的に見ても珍しい、高度に発達した縄文文化が栄えた一万年以上もの間、東北は日本の文化的中心地だったという。お盆の風習や、自然に対して八百万の神を崇める日本人特有の宗教的感覚も、遡ればこの時代の文化がどこか脈々と受け継がれているのかもしれない。
    全く関係ないが、今読んでいる別の本の巻頭にこんな言葉が記されていた。
    第三次世界大戦がいかなる兵器による戦いになるかは分かりませんが、第四次世界大戦は棍棒と石での戦いということになるでしょう。――アルベルト・アインシュタイン

  • no.471
    2021/8/9UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    スローカーブを、もう一球 山際淳司/角川文庫

    ―― ヘミングウェイが、ある短編小説のなかでこんな風にいっているのだ。「スポーツは公明正大に勝つことを教えてくれるし、またスポーツは威厳をもって負けることも教えてくれるのだ。
    要するに……」
    といって、彼は続けていう。「スポーツはすべてのことを、つまり、人生ってやつを教えてくれるんだ」 ―― (本書「ポール・ヴォルター」より)

    2021年の暑い夏も、もうすぐ終わろうとしている。塞がれて息苦しい上に騒がしい世の中で、一陣の風が吹き抜けたような真夏の祭典、東京オリンピックだった。いいものを見させてもらったと思っている。大会を支えたすべての人、そしてすべてのアスリートに敬意を込めて。

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  • no.470
    2021/7/31UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    コリーニ事件 フェルディナント・フォン・シーラッハ/創元推理文庫

    感情を抑えた誠実な語り口のなかに、深い洞察がうかがえる。法廷裁判の過程の中で、あらゆる人間の人物像が浮かび上がる。ものの善悪と時代背景、罪の重さと量刑、関係者がそれぞれに受ける影響。人は誰しも、真っ白でも真っ黒でもないグレーな存在である以上、法律に従って線を引かなければならない。
    本筋とは関係のないパン屋の主人の話が、なぜか妙に心に残る。「あんたは弁護士なんでしょう。弁護士のするべきことをしなくちゃ」。みんなそれぞれに自分の宿命を生きている。パン屋にはパン屋の、弁護士には弁護士の。
    今はパンデミック下の無観客オリンピックで、大会関係者も医療も経済も依然厳しい状況が続いている。“あの時”のオリンピックと後々まで語り継がれる大会になるだろう。「平和の祭典」はアスリートの美しさだけでなく、それを取り巻く人間の影の部分も露呈される。
    それでも、選手には選手の、ボランティアにはボランティアの、政治家には政治家の、医者には医者の、商人には商人の、それぞれの形の中で今できるベストを、信じる生き方を歩む以外に道はない。