さわや書店 おすすめ本

本当は、目的がなくても定期的に店内をぶらぶらし、
興味のある本もない本も均等に眺めながら歩く事を一番お勧めします。
お客様が本を通して、大切な一瞬に出会えますように。

  • no.514
    2022/7/21UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    金庫番の娘 伊兼源太郎/講談社文庫

    いかにも実際にありそうな権力争い、派閥の力学、政治とカネ、選挙の攻防、東京地検特捜部、エネルギー問題などがリアル感をもって描かれている。きれい事だけでは務まらない金庫番という、ある意味ダークサイド的な役目は、よほどの信頼関係がなければ成立しない。単なる仕事としてだけでなく、汚れを一身に引き受けてでも実現させたい未来を見据え、しっかりと理想を共有しているからこそできるものなのだろう。
    それにしても、特別支持していたわけでも何でもないのだけれども、先日亡くなられた安倍元首相の事件はショックだった。政治家としての評価は立場や見方の違いによっていろいろあるとは思うが、個人的には、オバマ大統領を広島に招き、自らは真珠湾へ公式訪問したことが印象に残っている。この一連の動きと“和解の力”というメッセージを世界へ発信した事については、他の人では実現できなかったように思う。
    人間には必ず光と影があり、そのどちらかのみという事はありえない。強い光の下では濃い影ができる。結局、プラマイどちらが大きいかという結果が政治家としての価値だろう。

  • no.513
    2022/7/11UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    家庭用安心坑夫 小砂川チト/講談社

    盛岡市出身の著者。群像新人文学賞受賞、芥川賞候補作を読んでみる。
    ユルい感じで始まりつつも、読み終えると非常に現実的で重いテーマだったのがわかる。メインストーリーの合間に昔の鉱山のストーリーが時々入る。このサブストーリーがとても美しく魅力的なのだが、これは主人公か、もしくはその母親が考えた物語なのだろうと想像する。そう思うとまた、本書全体がさらに物悲しく切ない。
    全然関係のない映画『ライフ・オブ・パイ』を思い出した。この映画のラスト、それまでのストーリーとは別のパターンの話が提示され、どっちの話がいいと思う?と聞かれる。
    大昔の宗教的な話なども含め、その物語は何を意味しているものなのか。そもそも物語とは何なのか。本書を読み終えて、そんな事を想った。

  • no.512
    2022/7/2UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    自省録 マルクス・アウレリウス/岩波文庫

    最近だと『ミステリと言う勿れ』で話題だそうだが、こちらの世代では『羊たちの沈黙』なのだ。レクター博士のセリフの中に、マルクス・アウレリウスが出てくる。この手の本は何かが降りてきてその気にならない限り読む機会はないので、Dr.レクターの勢いを借りて読んでみる。
    最初の「訳者序」にある通り、ローマ皇帝だった著者はこれを本にする気はなかったものと思う。自分自身に対する備忘録、あるいはメモだったのではないか。だがそれ故に、専門家が書いた綺麗でもっともらしい理論よりも入ってくるものがある。行動と共に悩み苦しみながら、自らの信じる哲学に照らして正しい理解を書き記したのだと想像する。だからこそ、2000年近く経った今でも深く響くのだ。物事のシンプルな根本に目を向ける。すると人間の行いは、善きも悪しきも大昔からほとんど変わらないことがわかる。
    『羊たちの沈黙』の原作には、あまり目立たない所でジェーン・オースティン著『分別と多感』もちらりと出てくる。この本は『いつか晴れた日に』というタイトルで映画にもなっていて、アン・リー監督のこの映画がまた素晴らしい。この監督は『ブロークバック・マウンテン』『ラスト、コーション』『ライフ・オブ・パイ』など際どい題材も見事な映画に昇華させている。『いつか晴れた日に』と『分別と多感』は『羊たちの沈黙』同様さわや書店本店の傑作映画&原作本コーナーにある。意外なものが意外なところでつながっている。

  • no.511
    2022/6/27UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    羊たちの沈黙 トマス・ハリス/新潮文庫

    原作と映画が双方共に傑作というのはかなりの奇跡だ。そんな名作だけを厳選した、さわや書店本店の「傑作映画&原作本」コーナー。その中でも、『ゴッドファーザー』と本書『羊たちの沈黙』は別格だと思う。どちらもその後のジャンルを決定的に確立させ、もう古典と言っていいだろう。原作の通りに作れば良いというわけでもなく、変えすぎると原作の良さが失われる。お互いのリスペクトと解釈が作品の深いところで共振して初めて、奇跡の一本が生まれるのだと思う。
    女性主人公FBI訓練生クラリス・スターリングの、上司でFBI行動科学課課長ジャック・クロフォードとの関係性、そして医学博士ハンニバル・レクターとの邂逅。仕事の枠を超えた師弟関係とも同志とも、恋愛感情とも受け取れるような微妙な心のつながり方が見事に表現されている。どこへ行っても女性FBI訓練生という目で見られる中で、レクター博士の見つめるまなざしだけは彼女の内面、本質へと向かう。映画でも原作でも中盤、クラリスとレクターが最後に面会をするシーン「さようなら、クラリス。子羊たちの悲鳴が止んだら教えてくれ」のあたりが、この物語全体の山場だ。

  • no.510
    2022/6/17UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    世界はフムフムで満ちている 金井真紀/ちくま文庫

    「達人観察図鑑」という副題がついている。本書には100人の、“その道のプロ”達のエッセンスが非常に短い文章の中に凝縮されている。達人たちの言葉にはもちろん含蓄があり、経験に裏打ちされた揺るぎない核心が込められている。ところが本書は、達人から何かを学ぼうとか自己啓発の類がメインの本では決してない。そういう読み方もできなくはないが、基本的には人間のおもしろさ、不思議さ、多様さを紹介している。こういう生き方も、こういう人もいるのだと。
    本書を書くにあたって、相当な時間を一人当たりの取材に費やしていると思う。おそらく対象者はほとんど大まじめな話をしているはずだ。その中で、ふっと力の抜けた瞬間、割と取材に関係ないところからその人の本質を切り取っているように感じる。
    達人たちの話はおもしろい。そして観察者である著者の、達人を見る目とイラストがまたおもしろい。

  • no.509
    2022/6/16UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    くるまの娘 宇佐見りん/河出書房新社

    最初から最後まで研ぎ澄まされた、張りつめたような文章が続き、どこも気を抜いて読むことができない。家族という身内の中でのみ通じる危うさや怒り、悲しみ。これは他人がどんなに理論的に説いたとしても理解も解決もできないだろう。そして、意外なところで思いがけず湧き上がるアイデンティティーの強さもまた、他人には窺い知ることすらできない。そんな微妙なところの感覚を、狙いすましたような最小限の言葉で衝いてくる。含むところ、想うところ、内包しているものを感じる小説だ。
    目の前の差し迫った問題に対して、それだけを回避する方法はマニュアル的なもので解決できるかもしれない。ただ、本質的な問題は残される。人の心の機微に触れる問題は、本人でさえよくわからない過去の歴史まで遡る。いろいろな原因があるにせよ突き詰めれば、本質的には人が生きる哀しみというものかもしれない。自分が傷つくことなく、人を傷つけることもなく生きるのは不可能だ。誰もが重くて深い闇を心に湛えながら、それでも何事もなかったかのようになんとか今を生きている。何も解決しない本書のラストが、なんか見事だ。

  • no.508
    2022/6/10UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    旅をする木 星野道夫/文春文庫

    環境保護、動物保護、温室効果ガス削減、クリーンエネルギー、SDGsなど、世界は過去にないほど環境問題に取り組んでいる。そのどれもが正しくて素晴らしい事には間違いないが、どこか空々しい感じがするのはなぜだろう。
    この本は自然の営みや風景描写からダイレクトに著者の思いが伝わってくる。自然がどう在り、動物がどう生きているのか。生き物は必ず他の命を犠牲にして、それを自分の体内に取り入れることで生命を維持している。その事実を実感する事でしか本当の意味での自然への畏敬や、生かされているという意味を知ることはできないのかもしれない。
    コロナ禍で何でも取り寄せる生活に慣れてしまうと、自然からの気づきはほぼゼロに等しい。しかも取り寄せるためにはそれだけのガソリンを使い、容器を使い、包装し、緩衝材を入れ、段ボールに入れて、誰かが個別に配送をする。とても効率的とは思えないし、プラスチックを含めたゴミも多く出ることだろう。その一方でSDGsを訴えたりもする。
    そろそろ街中に出るのも観光地を巡る旅もいいだろう。そしてたまには人のいない場所で、泣けてくるような夕日が沈むのを眺めたり、おびただしい数の星空に、理解を超えた宇宙を感じたりするのもまた、自然から直接ものの在り様を教わるいい機会だ。

  • no.507
    2022/6/7UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    気狂いピエロ ライオネル・ホワイト/新潮文庫

    『レザボア・ドッグス』『パルプ・フィクション』『ヒート』『ファーゴ』『ノーカントリ―』『カリートの道』『レオン』…上手くいかないストーリーなのになぜか異常に味わい深い。そんな不思議な魅力溢れるクライムサスペンスの元祖が著者なのではないだろうか。
    Obsession(妄執)が原題の本書。妻子ある冴えない中年男がちょっとしたことから犯罪に巻き込まれ、若い女との逃避行になる。深みにはまるほどに女の言う事を信じるほか道は無くなるが、本当は心のどこかでは真実に気づいていたのではないだろうか。「女を信じたい」という最後の「妄執」が、どんどん判断を狂わせてしまう。
    著者原作の映画は、ゴダールの『気狂いピエロ』とキューブリックの『現金に体を張れ』が有名だ。どちらの監督も作品も非常に有名なのに、実はまだ観ていない。映画を観てから、最近本店に設置した「Excellent movies & Original books」のコーナーに入れようと思う。
    本書の中で、映画『カサブランカ』の名曲「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」が出てくる。この映画も上手くいかないストーリーだが、それが異常にカッコいい。

  • no.506
    2022/6/4UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    ロボット・イン・ザ・ガーデン デボラ・インストール/小学館文庫

    今、劇団四季ミュージカル全国公演中の『ロボット・イン・ザ・ガーデン』。そして今年8月公開、二宮和也主演の映画『TANG タング』の原作が本書だ。翻訳された本としてはほとんど違和感のない、非常に読みやすい本なので是非とも1冊、演劇や映画を観る記念としても持っておいて損はない。いつか気が向いた時に読み始めても必ず面白く、また読む年代によっても感想が変わり、時が経つほどにノスタルジーが際立つ。そういう本だと思う。
    話は全く変わるが、映画『トップガン マーヴェリック』を観に行った。これは映画館で観るべき映画という事になるのだろう。まあ、どんな映画でも映画用に作られているものは基本的には映画館で観るべきなのだ。それは演劇でも美術でも音楽でも本でも同じ事が言える。とは言え便利な機器を全否定するつもりはない。その便利さは十分に理解しているし、享受してもいる。ただ、それらはあくまでも「サブ」であり、人間を補助するものだと思う。「サブ」を「メイン」にしてしまうのは、そこから抜け落ちるものが多すぎて、体験としてあまりにももったいない。そして、いい作品に対する対価は自己と制作者への投資だ。ポチっと安く入手すればするほど縮小する。

  • no.505
    2022/5/28UP

    本店・総務部Aおすすめ!

    そして、ぼくは旅に出た。
    はじまりの森ノースウッズ 大竹英洋/文春文庫

    読みながら、ワンダーフォーゲル部時代のある夏の合宿を思い出した。北海道大雪山系。山の最深部に入ると出会う登山者も少なく、明らかに野生動物のテリトリーに場違いな人間がお邪魔をしているという感覚だった。姿は見えないもののなにか、こちら側がじっと観察されているような気配をひしひしと感じる。論理的にあるいはテクニカルな部分で正しければすべてが正しいと思うのは、人間の驕りだろう。北海道の山中で10日間ほど食料とテントを持って縦走した、遠い思い出。
    本書は写真家を志した著者が大学卒業後、憧れの人物に会いに行った時の紀行文だ。どんなに技術的に向上し経験を積み上げたとしても、それを目指した時の瑞々しい第一歩には、思い出だけにとどまらず忘れてはならない大事なものが詰まっていると感じた。これはあらゆる仕事や生活の面にも同じことが言えると思う。いろいろな理論や技術が進化していく一方で、何がしたいのかという根本を見失うと、ただ翻弄されてしまう。道に迷ったら分かる地点まで戻る事が鉄則だ。答えは自分自身の中にしかない。そんな初心の大切さを思い出させてくれる本だった。